early life
小さいころの私は、とにかく夢中になるとまったくまわりがみえなくなってタイプでした。小学生の頃は、授業中も席にすわらず歩き回ってしゃべったり遊んだりしてよく先生に怒られていました。自転車で友達と駆け回ったり公園やプール、海で遊ぶ毎日で、とても楽しかったです。
あるとき、線路脇の溝でザリガニ採りに夢中になっていたら、電車が来たのに気が付かず電車が止まってしまいました。車掌さんが降りてきて怒られたので急いで逃げましたが、次の日学校で授業中に呼び出されすごく怒られ、家に帰ったら親も知っていて怒られました。ちょっと問題児だったかもしれません(先生、ゴメンナサイ…)。
でも、何かに夢中になることは悪いばかりではないと、今は思います。
また、幼少の思い出としては、よく母親の実家がある関町に遊びに行って川遊びをさせてもらってました。また、家族で海に行ったとき突然深いところにはまりパニックでおぼれました。近くにいた人に助けられたこともあります(あのとき、助けれたくれた方、ありがとうございます!)。
土日や夏休みなどは、白子から津駅前の塾に電車で通っていました。だいたい塾が終わると津駅前のチャムに入っているスガキヤでラーメンを食べゲームセンターでゲームをするのが楽しみでしたね。
ただ、そのために塾に通っていたようなものでしたから、中学受験で失敗しました。大して勉強もしていなかったのに初めて悔しいという気持ちを感じた出来事でした。
中学生になってからは、サッカーに没頭しました。
入学した中学校は、毎年、市の大会では優勝するくらいのサッカーの強豪校で、県大会でもベスト3で東海大会にも出場するチームでした。先輩には名古屋グランパスで活躍した小倉隆文さんもいました。
3年生でようやくレギュラーになれるところまでいったのですが、練習が本当にきつくて毎日部活にいくのがいやだったのを憶えています。
とはいえ、いやだいやだといっていた割には夏休みには毎朝早起きしてをサッカー部の友達と砂浜を5キロほど走っていました。そのおかげでマラソン大会は最高8位最低でも20位以内には入っていました。ちなみに毎年上位10人のうち8人ぐらいはサッカー部だったんですよ。
高校には、中学時代からすっと目標にしていた津市の高校に入学することができました。親も非常に喜んでくれたように思います。しかし、よいことはなかなか長続きしません。県下でも有数の進学校に入ったので、1年生の夏休み明けぐらいから勉強についていけなくなりました。
入りたくて入った高校なのに、毎日部活を一生懸命やるわけでもなく、かといって勉強を必死でやるわけでもない状態で、人生の中で一番中途半端な時間を過ごしてしまいました。
そうこうしているうちに、自分にとって、中途半端な高校時代が終わりに近づき、進路を決める時期がやってきました。
小さなころは医者になりたかったのですが、その頃すでに兄が歯科医師になっていて、いろいろ話を聞くうちに自然と歯科医師になりたいと思うようになっていました。
英語がとにかく苦手だったのですが、無事、歯学部に入学できたときは「ついに歯科大生になれた!」と喜び、これからどんなことが待っているのだろうとワクワクして、胸がいっぱいになりました。
入学してからまず、取り組んだことはラグビーです! 高校時代のラグビー部の部員がとても楽しそうだったので、以前からいつかラグビーをやってみたいと思っていたのです。
1つ告白をすると、実は大学時代はラクビー漬けで、勉強はあまりしていませんでした。当時は、とにかく留年だけはしないようにといった感じで決してまじめな方ではなかったように思います。
しかし、6年生の4月以降はとにかく毎日起きてる間はずっと勉強していました。まさしく「猛勉強」という感じです。その甲斐あって、無事に合格することができました。合格した時は、落ちなくてよかったという安堵の気持ちとついに歯科医師としての第一歩を踏み出すのだという心地よい緊張感に包まれました。
大学卒業と同時に、歯科医である兄の紹介で名古屋にあるスワン会という全国1位の規模の医療法人に勤務しました。
そこで、医療人としての基本的な心構えから最先端の治療技術まで幅広く学んでいくことになります。
勤務医1年目は、正直右も左もわからずとにかく毎日必死でした。学生時代の不勉強を取り返すべく、一生懸命勉強し努力して、肉体的にも精神的にも限界ギリギリまで自分を追い込みました(何かしら毎日怒られることの連続でしたけど…)。
どんな治療においても患者様にしっかりと説明し、相談しながら治療を進め納得していただけることは気をつけました。そして、少しずつ、患者様から喜びの声をもらうことができるようになりました。
そして、もっとがんばろうと、必死になって仕事をする毎日が続きました。
当時の医局には、同僚・先輩・後輩など多くの歯科医師が勤務していましたのでお互いに切磋琢磨しながら学ぶことができました。
仕事が終わると先輩や同僚や後輩と夕食をともにしながら一日の反省会をしていたのはいい思い出です。
スワン会で勤務するうちに、働くということはどういうことなのか、歯科医師の責任とはどういったことなのかといったことも深く考えるようになりました。次第に怒られることもなくなっていき仕事もできるようになってはきましたが、1年目に学んだ仕事に対する姿勢は変わることがなく常に勉強しつづけていました。
思ったような治療結果が得られなくて悩むこともありました。
そういう時は講習会や勉強会などで知識と技術を向上して自分なりに悩みを解決してきました。これまで、歯周病、インプラント、咬合、矯正、義歯など歯科に関係するあらゆる講習を受けてきました。講習会を受けた時間だけでも、何百時間も超えています。これからも必要だと感じたことは講習会や勉強会を通じて研鑽しつづけていくつもりです。
さて、スワン会では後輩も増え、教える機会も多くなり、そして勤務していた医院で副医院長となり、また別の医院に医院長として迎えていただきました。
そして、ついに開業を決意するときがやってきました。
いまの場所に決めたのは、津市白塚町に愛着があったからです。
私の実家が白子港付近で似ていたのです。
好きな土地・地域で地域の皆様のお役に立ちたいと思い開業を決意しました。
今後は、当院の活動を通して、予防歯科の大切さ、素晴らしさを地域の方に知って頂きたいと思っています。
地域の皆様には、むし歯、歯周病で歯を失う方が少しでも少なくなり、いくつになってもおいしい食事や楽しい会話、充実した生活を送ってほしいと思います。
患者様が治療結果に満足され、ブラッシングなどの意識も高まり、お口の健康を一緒に守るため頑張っていこうという信頼関係ができたときは、この仕事をしていてよかったな、と思います。
患者様から「とも歯科に来て、歯医者が怖くなくなった」という言葉を聞いた時は本当に嬉しかったです。
当院に通われる患者様の皆さんから、そういう言葉をいただけるように、今後もスタッフ一同、がんばっていきます。